総門

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元和5年(1619)、大溝藩主として入封した分部氏は、大溝城跡に陣屋を置き、その北西部に武家屋敷地を設けました。武家屋敷地の周囲は塀と堀がめぐらされ、さらにその北側に設けられた町人地ときっちりと分けられていました。
総門はその武家屋敷地の出入りに使用されていた最も重要な門(正門)です。
調査時に発見された棟札から、宝暦5年(1755)に修理された時のものとみられますが、小屋束などに明らかな転用材が混在していることから、前身建物の部材が再利用されているようです。

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当時の総門は、桁行約17.8m、梁間約3.9mの長屋門で、屋根は入母屋造の桟瓦葺、中央部に扉口があったと考えられます。また、総門の左右には高い板塀がめぐらされ、大門の西側には耳門(くぐり戸)があったとされており、大溝藩武家屋敷地の正門として、壮大な建造物であったことがうかがえます。

総門は明治時代に民間に払い下げられ、民家などに利用されてきましたが、令和6年(2024)に復原され、現在はまちづくりと観光の拠点「大溝まち並み案内処 総門」と資料室として活用されています。