江戸期の歴史

江戸時代になると、元和5年(1619)8月に伊勢国安濃郡(三重県)から分部光信が入封してきます。 以後幕末の廃藩置県まで約250年の間、分部氏が大溝城主を勤めました。 分部氏は、二万石という小藩であったため、大溝城の新築に及ばなかったことから天守を造らず陣屋を構えました。

分部光信の陣屋は、光信の居宅であると同時に、そこが政庁でもあって、陣屋は内濠がめぐらされ、郭内と呼ばれました。 郭内の外側には武家屋敷が配置され、それらは外濠によって囲まれていました。 したがって、城主を中心とする武士団は外濠内の外部に居住し、郭内を含む外濠内を惣郭(曲輪)と呼称したのです。
惣郭は東西四町余(約440m)、南北二町余の地域を占め、惣郭内には縦通りにあたる東西通に北町・中町・南町の三通りが、横の南北通りに東町通りの路筋が設けられました。 また、惣郭の東側には長屋門の形式をもつ総門が、他の箇所には西ノ門・南門・会所門がそれぞれ設けられて、惣郭と町人屋敷がはっきりと区別されたのです。