白鬚神社と白鬚祭

白井 忠雄

一 神社と祭

白鬚神社は、高島町の東南に位置する鵜川に所在する。国道一六一号線を大津から北上すると、北小松(志賀町)の集落を通りすぎると琵琶湖が大きく開けてる所に湖中大鳥居が見え、ここが白鬚神社である。

白鬚神社は、先に述べた湖中大鳥居より「近江の厳島」とか「白鬚さん」・「明神さん」と通称され親しまれている。信者は全国に広がっており、まさに近江の大社である。祭神は猿田彦命で延命長寿・長生きの神様、また開運招福・交通安全・航海安全など総ての「みちびきの神」として信仰深い。

創建は社記より、万葉の昔からと伝えられ、現在の本殿及び末社は太閤秀吉の命により秀頼公が片桐且元を奉行として慶長八年(一六〇三)造営した建物である。本殿は昭和十三年に国の重要文化財(建造物)に指定され、また、末社の若宮神社は昭和五十五年に町の指定文化財に指定された。

例祭は毎年五月一日と九月五・六日である。白鬚祭は秋の例祭を差し、別名「なる子まいり」とも呼ばれる。

ここで、大溝藩士前田梅園著作の鴻溝録(江戸時代後期)より見てみることにしよう。

〇白鬚大明神
四月土の巳の目打下十禅宮と同日に
ち神輿打下の御旅所へ渡御なら八月
五日も祭礼有て此日は遠方より参詣
の人夥し小児男女に限らず二歳にな
れば比日必参詣して名をもらふなり、
其名を三日の間呼八其子延命也と云
小児靴ひの風車を店々にて売参詣の
者是を買事定例となれり・・・・・
(翻刻 昭和四十四年二月 高島町教育委員会大溝老人クラブより)

現在もなる子まいりは連綿としてある。ただ、新暦になって、八月が九月に変更している。生後二歳(生まれた年の翌年)になると男女を問わず神社に参詣して、大神より名を受け賜名を数日間呼ぶ。わが子の無事健康成育は、昔今を問わずいつの世も同じであり、例祭には北は若狭・福井方面から南は京阪神方面まで多くの親子づれが参詣に来る。この時には、境内に露店の華がさく。

ニ 神社とその周辺

白鬚神社がなぜ明神岬に位置しているか。風光明美それもひとつの要素であろう。最大の要素は、白鬚神社が航海安全の神様であることから、舟で琵琶湖に出て白鬚神社を眺めると、背後に三角形の山がある。この山が重要で、古代において、神は山や樹に降臨すると考えられた。自然崇拝では天に高くそびえる山は重要な意味を持っており、山そのものが神であった。この山を神奈備型の山と呼ぶ。

ゆえに、背後に神奈備型の山を有する白鬚神社は古式の様目を呈した神社で、その由来は古代まで潮るであろう。
境内の末社に岩戸社と呼ばれる祠がある。この祠をよくよく見ると、今から約千四百年前の横穴式石室と呼ばれる古墳を再利用して造られた祠であることがわかる。このことより、周辺に数基の古墳が分布していると考えられ、古代人の足跡が見受けられる。
白鬚の名前について、白鬚と呼ばれる理由には二の通説がある。

一つは、古代朝鮮半島三国時代の新羅国の新羅人が日本海ルートでこの地に渡来し、居住して言葉が変化して新羅神社が白鬚神社と呼ばれるようになった説。

もう一つは、白鬚神社の祭神が猿田彦命で延命長寿というところから、白く鬚がのびるまで長寿でありますようにというところから白鬚神社となった説。どちらの説も謎につつまれていて白鬚神社にふさわしい説である。

高島町内にご高齢の方が多いというのは、猿田彦命の御陰であろうか、そこがおおいに謎である。

九月五日の例祭には謎の御陰を受けに参詣に行こう‼︎

出典:「高島の民俗」 昭和58年9月1日号