近江高島
大溝の水辺さんぽ

大溝城跡

信長が命じて築城 / 縄張りは光秀

乙女ヶ池

恵美押勝の乱・壬申の乱の戰場

大溝祭

湖西唯一の曳山まつり

まち割水路

城下町の通りの中央を流れる多目的水路

乙女ヶ池の太鼓橋

乙女ヶ池園地公園のハイライト

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見どころ


大溝について

大溝(近江高島)は、滋賀県北西部に位置する高島市の最南端にあります。

古代には中国大陸から人々や文化・技術が半島・対馬海流・若狭湾を経由し、山を越え、船を使い琵琶の高島沖を船で大津へ。大津の港から陸路で都に運搬されていました。

また、乙女ヶ池周辺は、天武元年(672)に壬申の乱の戦場になったり、天平宝字8年(764)には恵美押勝の乱の終焉地となっています。

戦国時代には、織田信長に命により天正6年(1578)に乙女ヶ池の畔に大溝城が築城されました。約20年後に城は取り壊されましたが、元和5年(1619)には伊勢上野から分部光信公が入封し、大溝の城下町整備を行いました。

大溝の城下町で特筆すべき点は、江戸時代に整備された上水道・中水道・下水道が現在も生活に根付いて使用されていることです。



重要文化的景観と日本遺産

平成27年(2015)1月に、大溝城下・乙女ヶ池・打下集落周辺が「大溝の水辺景観」として文化庁から 重要文化的景観 として生活の場そのものが国の文化財として選定されました。

さらに同年、「大溝の水辺景観」が日本遺産琵琶湖とその水辺景観 – 祈りと暮らしの水遺産にも選ばれています。