近江高島</br>大溝の水辺さんぽ

四十八体石仏

古く、打下から鵜川へ山の斜面(明神崎)には、天文22年(1553)に六角義賢が亡き母の追善のために刻んだという1.5mほどの阿弥陀如来坐像が整然と並んでいる。四十八体のうち十三体が坂本の慈眼堂へ運ばれたと伝えられ、近年(昭和62年)、何者かが二体を持ち去り、現在、三十三体となり風雨に晒された石仏は、その荒れ方も痛ましく、素朴な顔の表情は私達に何かを語り掛けてくる様に見えてくる。

何処の集落でもそうであるようにサンマイ(埋め墓)は、村外れに位置していることも興味深い。

大塚久雄
出典:「高島の民俗」平成2年1月1日号 高島探訪(一)より

※こちらの記事は伝承話とされており、史実に見られない内容や現在とは異なる表記がありますが、掲載元である「高島の民俗」に基づきそのまま記載しています。