近江高島</br>大溝の水辺さんぽ

勝野

勝野は古く、大溝と称されその名は豊臣秀吉が天正十五年に残した歳入目録に現われるが起因は知れない。元は、打下村、石垣村の地であったらしく、この辺りを勝野ヶ原といったらしい。明治八年に両村が併合され、昭和十二年、町村合併により大字勝野となり今日に至っている。

江若鉄道の開通が昭和二年(一九二七)、国鉄湖西線の開通が昭和四十九年(一九七四)と高島町は勝野を表玄関に機動している町であり、現在、近江高島駅を起点に町内を探訪することが最も望ましいことであろう。

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