四十八体石仏

古く、打下から鵜川へ山の斜面(明神崎)には、天文二十二年(一五五三)に六角義賢が亡き母の追善のために刻んだという一、五mほどの阿弥陀如来坐像が整然と並んでいる。四十八体のうち十三体が坂本の慈眼堂へ運ばれたと伝えられ、近年(昭和六十二年)、何者かが二体を持ち去り、現在、三十三体となり風雨に晒された石仏は、その荒れ方も痛ましく、素朴な顔の表情は私達に何かを語り掛けてくる様に見えてくる。

※ 何処の集落でもそうであるようにサンマイ(埋め墓)は、村外れに位置していることも興味深い。

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