大溝について

大溝について

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大溝(高島市勝野)は、高島市南端部に位置する、静かで風光明媚な田舎町です。

この地は、古代から湖上輸送の交通の要衝として重要な位置を占めていました。 また、背後に迫る三尾の山々からは琵琶湖北湖を一望できることから軍事的にも重要な場所とされてきました。

湖上輸送が物流の中心だった終戦後まもなくまでは、大溝のまちも大いに栄えましたが、陸上輸送にシフトするとともにその賑わいは次第に薄れていきました。

大溝(おおみぞ)

現在、大溝の地名は行政区画上の表記としては使われておらず、「大溝の水辺景観」エリアは高島市勝野です。
万葉集に「いずくにか われは宿らん 高島の勝野の原に この日暮れなば」と詠まれている様に、「高島」や「勝野」は古代から使われてきた地名として知られていますが、「大溝」については戦国時代に大溝城が築城された頃から使われ出したと考えられています。

ところが平成27年に、このエリアが国の「重要文化的景観」として選定されたことを契機として、古代からの歴史事実なども再注目され、脚光をあびる様になりました。

重要文化的景観

平成17年の文化財保護法の改正により定められた文化財の種類の一つ。
これは、地域の自然や人々の生活が長年の間に作り上げ、さらに現在もそこで人々が生活を続けている良好な風景全体を文化財として残していこうという考え方のものです。

古代から歴史に現れる大溝や高島

大溝城跡近くの大溝湊(港)周辺一帯は自然の良港であり、古代から戦後間もなくまで琵琶湖上輸送の交通の要衝として重要な位置を占めていました。 また、この地の背後に迫る三尾の山々は琵琶湖にせり出し、その山上からは琵琶湖北湖を一望できることから古代から軍事的にも重要な場所とされてきました。
このことを示す事実として、この地が日本の三大クーデターの内、「壬申の乱」と「惠美押勝の乱」の二つの戦場になったことは注目されるところです。
また、継体天皇の生誕地などにも近く、古代や戦国時代の歴史ファンにとって、非常に魅力溢れるエリアです。

選定エリアは、JR近江高島駅の徒歩圏内という便利な場所にありながら、県内においても独特の水辺景観を今に伝える地域です。
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主な見どころは、戦国時代の水城跡として貴重な石垣を残す大溝城跡、その南東に広がる打下集落と乙女ヶ池、そしてその北西に広がる勝野のまち並み一帯です。

大溝城跡

織田信長政権下で築城された大溝城は、内湖(乙女ヶ池)を濠に取り込んだ典型的な水城で、琵琶湖周辺のほとんどの内湖がなくなっている現在においては、貴重な文化財とされています。

琵琶湖や内湖との関わり

打下集落と乙女ヶ池は、内湖とそれに沿うように形成された砂州上の集落で、昔からその形態を変えずに残っています。

大溝城下の町並み

大溝城築城と同時に形成され始めた大溝の城下町は、江戸時代から近代にかけて多くの職人や商人でにぎわい、城下の町並みは、現在にまで当時の水路や建物を伝えています。

また平成27年4月には、「日本遺産」の一つとして滋賀県の琵琶湖の水と人々が織りなす文化を集めた「琵琶湖とその水辺景観 ~祈りと暮らしの水遺産~」が認定され、このテーマを構成する文化財として「大溝の水辺景観」も選ばれました。

日本遺産

地域に点在する有形・無形の文化財や伝承などの歴史的な特色を題材にしたストーリーを「日本遺産」として国が認定する名称とそのロゴマーク。「日本版の世界遺産」として認定をすることで観光客誘致や地域活性化を図ることが目的で、平成27年度に新たに創設された制度。
初の認定には、全国から18件のストーリーが選ばれ、その中の一つとして滋賀県の琵琶湖の水と人々が織りなす文化を集めた「琵琶湖とその水辺景観 ~祈りと暮らしの水遺産~」が認定されました。 このテーマを構成する文化財として、高島市からは「近江の厳島」と称される白鬚神社や、水との生活が調和した景観(海津・西浜・知内の水辺景観、針江・霜降の水辺景観、大溝の水辺景観)のほか、安曇川流域の筏乗りを魔物から守る「シコブチ信仰」が入るなど、水との関わりがアピールされています。

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